高山寺(弘法さん)


田辺市稲成町の「高山寺」は聖徳太子が開創、その後弘法大師(空海)が弘仁7年(高野山金剛峰寺を開いたのと同じ816年)の夏、熊野からの帰り、自らの姿を彫刻んだうえ中興したお寺で、地元では「弘法さん」と呼ばれています。
天正13年(1585年)秀吉の紀州攻めで焼き討ちにあいましたが、江戸時代に入り、興山寺から高山寺に改められ、多宝塔などが建造復興されています。

  
  
仁王門の屋根の鬼門は古代鬼面で眼が穴になっていません。  

 
    
多宝塔(国重要文化財)は江戸時代文化13年(1816年)建立、高さ約15メートル。
四天王とともに、聖徳太子の立像(県指定文化財)が安置されています。

  
南方熊楠の菩提寺でもあり、生前よく訪れていたとのことです。
この寺に隣接して熊楠の研究フィールド日吉神社かありましたが、
明治41年(1908年)に強制的に合祀、神木も伐採されたことが、熊楠の神社合祀反対運動のきっかけになったといいいます。
熊楠のお墓の隣には昭和天皇が熊楠を想い詠われた立て札がありました。


「植芝盛平」は合気道の創始者

  
多宝塔の前にある釣鐘堂

本堂   
  
  

薬師如来堂  

   
不動明王堂の犬走りには小石が敷き詰められていました。

   
観自在菩薩堂
古代鬼面以外もかなり古そうな鬼面ばかりです。

  
弘法大師座像が祀られる金剛遍乗堂(太師堂;奥の院)はこの裏手

  
「ありがたや 御影の淵にうつしおく 大師はここに おわします」