はての二十日(カンヒザクラ)


 
R24号線の「地蔵の辻」の交差点から嘉家(かけ)作り丁の信号の間の桜並木
この中で2月中頃にもう花を咲かせる一本があります。
うっすらと朱を帯びて少し垂れ下がったように咲く寒緋桜系の桜です。


朱に色づいた桜はちょうど「地蔵の辻」のバス停の位置になります。  
“地蔵の辻由来は、ここに紀州初代頼宣公の母君お萬の方の建立の地蔵尊がまつられていたことからで、
城から出発して最初の休憩所になり、これより大和街道へと進みます。

ここでは “はての二十日に旅立ちするな” と伝えられてます。はての二十日とは師走の二十日。
この日は罪人の処刑日で、目かくしをされて裸馬に乗せられた罪人が、
刑場場の八軒屋(阪和高速の橋の紀ノ川上流あたり)へ向かうのですが。
ここの“地蔵の辻”で馬からおろされ、目かくしをはずして、地蔵尊に手を合わせ
見送りに来ている家族や知人たちと最後の分かれをしたそうです。
まだまだ寒い季節に少しうなだれたように咲く寒緋桜に・・・
同じ旅立ちでもいろんな想いがあったことを考えてしまいます。

現在の地蔵尊はR24線の拡幅のため和歌山寄りの場所に移転しています。



その地蔵尊近くのデイリーヤマザキで売られていた地蔵さんの焼き印入りのアンパン
クリームと粒あんの二層になっていてウマイス 

 

当時、休憩所がたちならんだ嘉家(かけ)作り丁には街並みの一部が保存されています。
嘉家作り丁の由来は寛永10年(1633)の紀の川大水害後に改修された堤防堤防斜面に
建て懸けるように作られた家屋には、玄関を入ると下階部屋に下りる階段があります。
このような建築様式を“懸作(かけづくり)”といいことからのようです。
 

 「一文字の軒」というのは
張り出した軒が街道沿い約300mの間を商店街のアーケードのように、一文字に揃って並んでいたからだそうです。


久しぶりに鬼瓦もゲットしました。                             



                                                        
                                             和歌山の鬼瓦のページへ

メドハギのページへ       ダイコン2のページへ