根来寺(伝法町)


高野山で真言密教を納めた覚ばん上人が大治元年(1126年)に布教の拠点としてこの祠(ほこら)を根来の地に。  

戦国時代、鉄砲隊を擁する根来衆は大きな勢力で、この拡大を恐れた秀吉が天正13年(1585年)根来に攻めいります。
この根来攻めにより、火薬庫に火が入り爆発、全山焼失しますが、その時焼失をまぬがれたのが大塔(国宝)と大師堂(重要文化財)で、これ以外は江戸時代に復興したものです。


根来寺大塔
高さ40メートル、幅15メートルの日本最大の多宝塔(もちろん木造)
文明12年(1480年)頃から着工し、天文16年(1547年)に竣工したといわれています。
  

  
大塔の隣は大日如来を祀る大伝法堂、屋根には鬼面瓦が。。。
根来攻めの際に焼失を免れたのですが、
秀吉に管理を任された者が間違って大伝法堂を解体し、海路で運んでいる途中で差し止められ、
その場に荷揚げされた材はそのまま朽ち果ててしまいました。
淀川河口の此花区伝法町がその場所と言われています。
現在の大伝法堂は文政10年(1827年)江戸時代の後期に再建されたもの(県指定文化財)

  
根来寺奥之院
覚ばん上人(興教大師)の御廊です。

奥の院手前の墓地にある「小野真次」のお墓。
サッカー選手の小野伸二とは字が違います。
初代和歌山県公選知事として5期を勤め、和歌山県の基礎づくりをされた方のお墓です。


根来の子守歌

  
光明真言殿(通称光明殿)覚ばん上人や、歴代座主、根来寺の復興に尽力した紀州徳川家の位牌が祀られています。享和元年(1801年)に建立、その後1827年に再建(県指定文化財)

  
ドウダンツツジの白い花の向こうは行者堂(県指定文化財)

  
光明殿前でデジったよだれを垂らす龍も・・・。
  
根来寺不動堂(八角円堂)、本尊は三国一のきりもみ不動
大師が難に遭われたときに身代わりとなって守られたとのことです。
江戸時代末期、嘉永3年(1850年)建立(県指定文化財)

  
不動堂の裏手に隣接北向不動尊、不動堂の勝手口になるのでしょうか?

   
春日堂とその屋根の鬼面達
                       〈大門はこちらをクリック〉