海南市内I(廻船港)

 
海南市下津町塩津の遠望と集落から見下ろした塩津港

江戸時代には漁業や廻船業で栄えた地域です。
たくさんの鬼面はその頃の繁栄の証しでしょう。



そんな集落の中で左の標札を発見
〈南市が白っぽいのは海草郡が海南市になったため、その他の白く塗りつぶしたのは私です。・・・〉
もちろん島本講平氏は昭和45年(1970年)春の甲子園で尾藤監督の下で、第42回センバツ大会を征したあの島本講平です。
啓次郎氏は講平氏の弟で巨人に入団しています。

  
集落の中は階段ばっかり、足腰が鍛えられます。