角の数について(「和歌山の花と虫」的考察)


普通、鬼の角は2本だろうと思っていたらとんでもない。
角の生えていないものや、3本以上も生えている鬼面もあります。

角のない鬼面は、鬼瓦が神獣を象ったものから進化したことをうかがわせます。
古代鬼面には角がなく、平面的なつくりになっています。

その後、仏教で神聖な生き物とされる牛が2本の角を持っていることから2本の角が付けられたということが考えられます。

   

龍にも2本の角と爪があり、龍のその強大な力を鬼面に取り入れたいと考えたことも想像できます。
 
龍を見ると昔よく聴き歌ったP.P.Mの「パフ」を思い出します。
ジャーキーペーパー少年と遊ぶドラゴンの歌ですが、、
気の弱い赤鬼があったように、優しいドラゴンもいてるのでしょうが、
このような歌や話があるということは、通常は鬼や龍は例外なく強者という証です。
各地の鬼や龍の伝説が、平家の落人の隠れ里とともに存在していることからも、鬼や龍は強くて怖いものというイメージです。


その後の鬼面鬼瓦は、より鬼らしくという発想から発展してきます。
鬼師と呼ばれる人たちの探求と創作で迫力と芸術性も高まってきます。
その鬼のイメージは鬼門の丑寅の方角から、牛の角と虎の牙と爪を連想したもの。
通常の鬼面は2本角です。

その2本角の鬼は、うる星やつらのラムちゃんのように浮気をするととても怖い形相になります。
 
牛と虎を合成したような鬼面と、爪をみせる鬼(コブなのか角なのか3ッありそうです。)


1本角は、子供の鬼じゃないかといわれますが、たしかに子供は1本の方が可愛いと思います。
年が変わると鹿の角のように生え替わるのでしょうが、形相をみると、とても子供の鬼とはおもえません。
 

麒麟やユニコーンは一本角を持つ想像上の不思議な生き物です。
一本角はこっちからの連想もあるかもしれません。
一本角に未知の力を感じたのかもしれません。


じゃ、3本角はということになりますが、平安時代に”角三つ生えたる鬼になれ”と女が男を呪ったという歌があったようで、
その頃から既に3本角の鬼がイメージされてたようです。

古くから日本では、割ることができない奇数には聖なる力が秘められると思われていました。
3本角は強い鬼にさらなる強い力を求めたものと考えられます。

また、鬼の世界を想像した時に、赤と青だけではバラエティがでません。角の数を変えて描く必要もでてきたんじゃないかと思います。
鬼面の神秘さは、鬼師の創造力のたまもの。

だから、この画像のように6ツ(?)の角を持っている鬼面があってもいいのでしょう。