お寺の鬼瓦について(和歌山の花と虫」的考察)
お寺は、鬼瓦の宝庫です。 |
お寺の宗教は、もしかしたらフランス発祥のオシャレ〜な宗教だと思っている方もおられるかもしれませんが、紀元前5世紀、インド北部のガンジス川中流域で、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が説いた教え、仏教です。 |
日本に仏教が伝わったのは釈迦の時代からず〜と経った飛鳥時代。「日本書紀」によると522年、「上宮聖徳法王帝説」(聖徳太子の伝記)によると552年。 |
聖徳太子は、「十七条の憲法」の第二条に「仏教を信じ、従いなさい」と書き、自ら法隆寺や四天王寺を建立しました。その後の権力者(天皇家等)もシャカリキになって東大寺、薬師寺、唐招提寺(鑑真)等、奈良時代にかけてりっぱなお寺をたくさん建立します。日本での仏教は当初、その教えが持つ強大な力をかりた国家を鎮める手段に使われます。 |
平安時代中期に入ると末法の世相が強まり、このままでは現世の幸福も期待できない、ひたすら念仏を唱えて来世の救済を願う浄土宗(法然)が流行ります。 |
家康は寺請制度により、人々を必ずいずれかの寺院に登録させることで勢力の拡大を防止し、また浄土真宗を上手に東本願寺と西本願寺に分裂させて、勢力の弱体化を図っています。 このようななかでも、天海(天台宗)は、家康の葬儀の導師をつとめ日光山を再興、江戸上野に寛永寺を開山、他の多くの各宗各寺院も江戸時代に再興されました。仏教にとっては明治維新直後の廃仏キ釈もありましが、鬼瓦はなんなく生き延びました。これは仏教の力だけでなく、真に鬼瓦自身が持っていた神秘なのかもしれません。 |
振り返れば、様々な仏教が日本に伝来し、様々な宗派を生み、その時々の権力に関わり、鬼瓦も単なる縁起・魔除けとしてではなく、進化をしながら、りっぱに寺院の象徴として屋根を飾っています。 なかでも鬼面鬼瓦は神獣から進化した日本独自のもの、様々な宗派に展開できる仏教だからこそ鬼瓦の進化もあったのでしょう。他の宗教ならおそらく進化は許されなかったことでしょう。 そして、「和歌山の花と虫」が期待した宗派独自の鬼面鬼瓦は、元をたどればどんな宗派のお寺も仏教なんだから意味のなかったことでした。 それにしても鬼瓦!!最近屋根から降りてお寺の境内にならぶ鬼面も見かけますが、これからどのように生きてゆくのでしょうか?
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