民家の鬼瓦について(和歌山の花と虫」的考察)

 588年以来、瓦はお寺の屋根のみに使われましたが、724年(聖武天皇の頃)には身分の高い人々のみ使用が許されたといわれます。このことで鬼瓦も民家の屋根の上に座ることになります。
 平安時代以降には武家屋敷や城郭建築にも鬼瓦がつかわれ、家紋の鬼瓦亥の目(スペード模様みたい)が入った鬼瓦も出てきたといわれます。
 猪は古代日本人の守り神であり、弥生時代の巫女の祈祷時には猪の頭蓋骨を魔よけとして掲げたといいます。あの「もののけ姫」で少女サンが助けようとしていたのも山の守り神のシシ神だったと思います。
 鬼面の牙は単純に虎か獅子像(シーサー)由来と思っていましたが、猪かも!?とも・・・。 


亥の目模様

 江戸幕府が火災対策として瓦屋根を奨励したことから、江戸時代以降には一般民家でも瓦が葺かれ、鬼面も睨みを効かせます。
災難の中でも一番怖いのがすべてを灰にしてしまう火事です。そのため、鬼面だけでなく、水を連想する雲などのデザインも主に使われます。シンプルに「水」という文字が書かれた鬼瓦もありましたが、バラエティに富む鬼瓦に特別なルールもなさそうだし、もしかしたらこの頃既に出現していたかもしれません。

 和歌山では、鬼面の鬼瓦は紀ノ川や有田川周辺に多くみられます。大切な家宝を災難から守るため特に蔵などの屋根に使われることが多いようです。母屋でも使われれはいますが、そのにらみのすごさを隣家に気遣かったのでしょうか。かなり立派な普請でも鬼面以外の鬼瓦になっていることがあります。中には家紋や福を呼ぶ縁起物の鬼瓦が使われている屋敷もあります。
 南へ下ると鬼面は少ないように思います。熊野は熊野権現鎮座の地、檜皮の社が主で、紀北で鬼面瓦が使用されていたひと昔前まで紀南では一般の民家では手に入りやすい屋根材としてスギ皮が使われていました。それと、地理的に都から遠く離れ、重たい鬼面を運ぶのも大変だったのかと思います。


檜皮葺のタマ駅
(和歌山電鉄貴志駅)

 重量のある瓦は、台風などの強風で家が飛ばされるのを防ぐ意味もあったのでしょうが、逆に重心が高くなり地震に対しては不利となります。葺き替える際には軽量瓦に変更することも多いのですが、今まで家をずっと守ってきてくれた鬼瓦をそのまま破棄することはなく、鬼瓦だけをもう一度屋根に戻した家も見られます。また、屋根には戻さずに庭等に飾る(祀る)家もあります。

 中にはカラオケ店に出入りしている鬼もいてるようでフォーカスしてきました。 


 鬼瓦は日本人の信仰の歴史を受け継ぎ、昇華してきた魔よけや縁起もの、屋根を引き締めるすばらしい芸術品です。屋根は家の象徴。しかも通行人へ常時オープンです。

 実は最近、私ン家のスレート葺きの変哲もない屋根を誰かに見られているような気配を感じていました。
  玄関のチャイムがピンポーン・・・。  営業マンが名刺とパンフレットを差し出して
    「ずいぶん痛んでますよ!! いい加減葺き替えませんか!!