鬼面の喜怒哀楽について(和歌山の花と虫」的考察)

  
鬼瓦には、外界からの怪しいヤツの侵入や火事などの災害を防ぐ番犬のような邪気払いの役目とともに、
家内安全や繁栄の福を呼ぶ招き猫のような女神の役目が期待されています。
恐い顔をした鬼面ですが、よく見てみるとその二つの役目を感じ取ることができます。

鬼面は大きく口を開いた”阿面”と口を閉じた”吽面”が対としてのっていますが、
このことで喜怒哀楽の表情が変化し、
その表情の中に、番犬か招き猫かを想像することができ
、楽しいものです。

自慢げな顔をした鬼面には、喜を感じます。自信に充ち強い守り神として私たちに安心を与えてくれます。
喜は鬼(き)とも、「鬼さんこちら・・・」と一緒に遊んでくれそうな親しみも感じます。
  

  

虚空を睨み、辺りを威嚇しているような怒の表情は、働きのよい番犬そのものです。
邪気から逃れたいという平安中期〜鎌倉時代の末法思想のなかで進化を遂げた鬼面の本来の姿がよく出たものと思います。


 

年老いた鬼面には強さと哀が漂います。じっと耐える姿に愛おしくなります。
また、迷いや悩みを包み込んでくれそうな優しさを感じます。

穏やかに私たちを見つめる鬼もいます。楽の鬼面です。
強さと包容力が合体した番犬と招き猫の力を感じさせます。

以上、喜怒哀楽に分類してみましたが、改めてじっくりみてみると、
全ての鬼面に喜怒哀楽全ての表情を感じるんです。
自分のその時の気持ちが鬼面に鏡のように映ってしまうのかもしれません。
もう一度、このページの上から鏡の”喜・怒・哀・楽”に惑わされず見直していただくと
喜怒哀楽の分類に意味が有るのだろうかと疑問がわいてくるんじゃありませんか。