第10問解説
平安時代末期に高野山寺領の荘園「紀伊国荒川荘」が、紀の川市桃山町にあって、この田畑の面積や年貢の有無について高野山に報告した「僧快全學道衆堅義料田注進状」(1406年)という書類に、 「今は山田にて棚に似たる故に、たな田という」 という記述があります。これが棚田命名のルーツと言われています。
桃山町の棚田は、現在は桃畑になって残っていませんが、急峻な地形の多い和歌山県では棚田の耕作地が各地で見られます。
画像は有田川のあらぎ島の棚田ですが、 このように懐かしい原風景を表します。