上級編_A01


答えは「イエス」です。

初代紀州徳川:徳川頼宣の命で大和吉野郡へ紙づくり製法を教えてもらいに行ったがダメでした。
そこで、村の美男子3人を吉野へ潜入させたところ、
数年の内にそれぞれ紙漉女工を連れ帰ったとのことです。
355年前(1658年)に3軒から始まった保田紙造りは、
大正、昭和初期の最盛期には一時400もの漉き屋が軒を連ねたと言います。
時代とともに衰退し、昭和40年代には無くなりましたが、
昭和54年に復興し、現在は体験交流工房「わらし」で体験できます。

保田紙の原料は地元でカンゴと呼ばれるコウゾ、下段のようなジューシイな実がなります。