有V_A09
答えは「ノー」です。
「稲むらの火」で知られる安政南海地震(1854年12月24日)後、 濱口梧陵が私財を投げ打って造った広村堤防 堤に桜を植えて、花見で踏み固めると言うような話を聞きますが、それは河の堤のことで、 地震が多発した安政の時代、盛り土の強度を早期に高めるため、 ここではクロマツとともに早生樹のハゼをたくさん植えたとのことです。 現在は防潮効果の高いと言われるりっぱな松林となって クロマツに混じってテーダマツが大きな松ぼっくりを着けていました。 トゲトゲ松ぼっくりの3葉